あなたは誰の味方なのか
「CFO、今回の監査法人の指摘、どう対応しますか?」
取締役会の直後、CEOから声をかけられました。その表情には、明らかに焦りがありました。監査法人が提示した追加開示の要求は、スケジュールを圧迫し、現場の負担を増やすものでした。一方で、監査法人の主張には一定の合理性がありました。会計基準の解釈として、彼らの指摘は正しいのです。
私は、どちらの味方なのか。
CEOは「攻め」を求め、監査法人は「守り」を求めます。現場は「これ以上無理です」と悲鳴を上げ、外部取締役は「ガバナンスを優先すべき」と冷静に言い放ちます。その中心に立つのが、CFOです。
CFOは、誰の味方でもありません。そして、全員の味方でなければなりません。
この矛盾こそが、CFOという役割の本質であり、最も苦しい部分でもあります。私は2度のIPOを経験し、CFOとして3年間在任する中で、何度もこの板挟み構造に直面してきました。そして、気づいたことがあります。
板挟みは、CFOの宿命ではなく、武器です。
この記事では、CFOが板挟みになる構造的な理由を明らかにし、その乗り越え方を、私自身の実体験と心理カウンセラーとしての視点から語ります。あなたがもし、今まさに板挟みの中で苦しんでいるなら、この記事が少しでも力になれば幸いです。
第1章|CFOの板挟み構造を理解する
1-1. CEO(攻め)vs 監査法人(守り)——誰も悪くない対立
CFOが最も頻繁に直面する板挟みは、CEOと監査法人の対立構造です。
CEOは「攻め」を求めます。新規事業への投資、M&Aの実行、事業拡大のための資金調達。スピード感を持って意思決定し、競合に先んじることが求められます。CEOにとって、財務は「制約」ではなく「手段」であるべきです。
一方、監査法人は「守り」を求めます。会計基準の遵守、内部統制の整備、リスクの可視化。彼らの役割は、企業の財務情報が適正であることを担保することです。監査法人にとって、財務は「正確性」が最優先されます。
どちらも正しいのです。そして、どちらも譲れません。
私が最初のIPOを経験した際、まさにこの構図に悩まされました。新規事業の立ち上げに伴う会計処理について、CEOは「できるだけ積極的に資産計上したい」と考えていました。一方、監査法人は「保守的に費用処理すべき」と主張しました。
私は、両者の間に立ち、何度も説明を重ねました。CEOには「監査法人の指摘は、上場後の信頼性を守るために必要です」と伝え、監査法人には「経営判断としての背景を理解してほしい」と説明しました。
結果的に、監査法人の指摘を受け入れる形で決着しましたが、CEOからは「もう少し粘れなかったのか」と言われました。その言葉は、今でも胸に残っています。
1-2. 現場の疲弊と経営層の焦り——見えないギャップ
CFOは、経営層の一員でありながら、現場の声を最も近くで聞く立場でもあります。
経営層は「なぜこんなに時間がかかるのか」と焦り、現場は「これ以上無理です」と疲弊します。その間に立つCFOは、双方の温度差を肌で感じます。
私が2度目のIPOを経験した際、上場準備の最終局面で、現場のメンバーが次々と体調を崩しました。監査法人からの追加資料の要求、証券会社からの修正依頼、取締役会での説明資料の作成——すべてが同時に押し寄せました。
私は、CEOに「このままでは現場が持ちません」と伝えました。しかし、CEOは「上場スケジュールは変えられない」と答えました。外部取締役からは「スケジュール遅延は市場の信頼を損なう」と釘を刺されました。
結局、私自身が現場に入り、深夜まで作業を続けました。その過程で、私は気づきました。
CFOは、経営層と現場の「翻訳者」であるべきです。
経営層には現場の限界を伝え、現場には経営判断の背景を伝えます。どちらか一方の味方ではなく、両者をつなぐ存在であること。それが、CFOの役割だと理解しました。
1-3. 外部取締役と内部メンバーの温度差——視座のズレ
上場企業のCFOにとって、外部取締役との関係も大きな課題です。
外部取締役は、客観的な視点から企業のガバナンスを監督します。彼らの視座は「株主利益の最大化」であり、短期的な業績よりも中長期的な企業価値を重視します。一方、内部メンバーは「現場の実態」を最優先します。目の前の売上、コスト削減、日々の業務改善——すべてが現実の課題です。
私がCFOとして在任していた際、ある外部取締役から「御社の設備投資は過剰ではないか」と指摘されました。確かに、数字だけを見れば、その年の設備投資額は前年比で大きく増加していました。しかし、それは事業拡大に不可欠な投資であり、現場からの強い要望でもありました。
私は、取締役会で「この投資は、今後3年間の成長を支える基盤です」と説明しました。しかし、外部取締役は「それは本当に必要なのか、代替案はないのか」と問い続けました。
その場で、私は内部メンバーと外部取締役の間で揺れました。内部メンバーは「外部の人には現場の実態が分からない」と不満を持ち、外部取締役は「内部の論理に引っ張られすぎている」と感じていました。
CFOは、内部と外部の「視座のズレ」を埋める役割を担います。
そのためには、双方の言語を理解し、翻訳し、建設的な対話を生み出す必要があります。これもまた、CFOにしかできない仕事です。
第2章|板挟みを乗り越える実務の型
2-1. ステークホルダーマップの作成——誰が何を求めているのかを可視化する
板挟みを乗り越えるための第一歩は、ステークホルダーマップの作成です。
CFOが向き合うステークホルダーは多岐にわたります。CEO、監査法人、現場、外部取締役、VC、銀行、証券会社——それぞれが異なる視座と利害を持っています。
私は、CFOとして在任していた際、以下のようなステークホルダーマップを作成していました。
| ステークホルダー | 主な視座 | 求めていること | 懸念していること |
|---|---|---|---|
| CEO | 攻め・成長 | 意思決定の速さ、資金調達 | 財務の制約、スピード感の欠如 |
| 監査法人 | 守り・正確性 | 会計基準の遵守、開示の適正性 | リスクの見落とし、不正の可能性 |
| 現場 | 実務・効率 | 業務負荷の軽減、明確な指示 | 過度な要求、スケジュールの無理 |
| 外部取締役 | ガバナンス・中長期 | 企業価値の向上、リスク管理 | 内部論理への偏り、透明性の欠如 |
| VC | リターン・成長 | 高い成長率、エグジット戦略 | 成長鈍化、資金繰りの悪化 |
このマップを作成することで、私は「誰が何を求めているのか」を明確に理解できるようになりました。そして、それぞれの要求が対立する場合、どのように優先順位をつけるべきかを判断する基準を持つことができました。
ステークホルダーマップは、CFOの羅針盤です。
2-2. 翻訳者としてのCFO——言語を変えて伝える
CFOの最も重要な役割の一つは、翻訳者であることです。
CEOの「攻めの意思決定」を、監査法人が理解できる「会計基準の言語」に翻訳します。現場の「実務の限界」を、経営層が納得できる「リソース配分の論理」に翻訳します。外部取締役の「ガバナンスの視点」を、内部メンバーが受け入れられる「現場の改善提案」に翻訳します。
私が実際に行っていた翻訳の例を紹介します。
CEOから監査法人への翻訳
CEOが「この新規事業は将来的に大きな収益を生む」と主張した際、私は監査法人に対して「将来キャッシュフローの見積もりを提示し、減損リスクを定量的に評価しました」と説明しました。
現場から経営層への翻訳
現場が「これ以上無理です」と訴えた際、私は経営層に対して「現在のリソースでは、このスケジュールを達成するとミスが発生するリスクが高まります」と伝えました。
外部取締役から内部メンバーへの翻訳
外部取締役が「設備投資の妥当性を再検討すべき」と指摘した際、私は内部メンバーに対して「投資の根拠をより明確に示すことで、取締役会の理解を深めることができます」と説明しました。
翻訳とは、言葉を変えるだけではありません。相手の視座に立ち、相手が納得できる文脈で伝えることです。
2-3. 優先順位の可視化——すべてに応えることはできない
板挟みの中で最も辛いのは、「すべてに応えられない」という現実です。
CEOの要求、監査法人の指摘、現場の悲鳴、外部取締役の懸念——すべてに完璧に対応することは不可能です。だからこそ、CFOには優先順位をつける勇気が求められます。
私がCFOとして在任していた際、以下のような優先順位の判断基準を持っていました。
- 法令遵守・会計基準の遵守は最優先
→ 監査法人の指摘は、基本的に受け入れます - 現場の限界を超える要求は避ける
→ 人的リソースの枯渇は、長期的なリスクです - CEOの意思決定は尊重しつつ、リスクを明示する
→ 攻めの判断を否定せず、リスクを共有します - 外部取締役の視点は、中長期的な改善に活かす
→ 短期的な実務よりも、ガバナンス強化を優先します
この基準を明文化し、取締役会でも共有することで、私は「なぜこの判断をしたのか」を説明できるようになりました。
優先順位を可視化することは、CFOの意思決定を守る盾になります。
第3章|板挟みに耐える心理マネジメント
3-1. 孤独を認める勇気——CFOは孤独な役割である
CFOは、孤独です。
CEOとは立場が異なり、現場とは視座が異なり、外部取締役とは温度感が異なります。誰にも完全には理解されません。それが、CFOという役割の宿命です。
私がCFOとして在任していた際、最も辛かったのは「誰にも相談できない」という感覚でした。CEOに相談すれば「CFOなんだから判断してくれ」と言われ、現場に相談すれば「CFOは経営層の味方だ」と思われます。外部取締役に相談しても、彼らには日々の実務の温度感は伝わりません。
ある夜、私は一人で考えました。「なぜこんなに孤独なのか」と。
そして、気づきました。
孤独は、CFOの役割の一部です。孤独を認めることが、CFOとしての第一歩です。
孤独を否定せず、受け入れること。それが、CFOとしての心理的な強さを生みます。私は上級心理カウンセラーの資格を持っていますが、孤独を認めることは、自己肯定感を保つ上で極めて重要だと理解しています。
3-2. 自己肯定感の保ち方——「正しい判断」ではなく「最善の判断」を目指す
CFOは、常に「正しい判断」を求められます。しかし、現実には「正しい判断」など存在しません。
CEOの要求を優先すれば、監査法人から指摘を受けます。監査法人の指摘を受け入れれば、CEOから不満を持たれます。どちらを選んでも、誰かが不満を持ちます。
私が学んだのは、「正しい判断」ではなく「最善の判断」を目指すことです。
「最善の判断」とは、その時点で得られる情報、リソース、状況を踏まえて、最もバランスの取れた判断をすることです。それが「正しい」かどうかは、後にならなければ分かりません。
私は、自分の判断を振り返る際、以下の問いを自分に投げかけていました。
- その判断は、その時点で得られる情報を基にしたものか?
- ステークホルダーのバランスを考慮したか?
- 自分の価値観に反していないか?
この問いに「はい」と答えられるなら、その判断は「最善」だったと認めることができます。
自己肯定感を保つためには、「正しさ」ではなく「最善」を基準にすることです。
3-3. 外部メンターの重要性——孤独を共有できる存在
CFOが孤独を乗り越えるために、最も重要なのは外部メンターの存在です。
私がCFOとして在任していた際、最も救われたのは、元CFOの方との定期的な対話でした。彼は別の企業でCFOを務めており、私と同じような板挟みの経験を持っていました。
彼との対話の中で、私は「自分だけが苦しんでいるわけではない」と実感できました。彼も、CEOと監査法人の間で悩み、現場と経営層の板挟みに苦しんできました。その経験を共有することで、私は孤独感から解放されました。
外部メンターは、社内の利害関係から離れた存在だからこそ、率直に話せます。そして、彼らの経験は、CFOとしての視座を広げてくれます。
孤独を共有できる存在を持つこと。それが、CFOの心理的な支えになります。
まとめ|板挟みは、CFOの宿命ではなく武器である
CFOは、板挟みになります。それは避けられません。
しかし、板挟みは、CFOの宿命ではありません。それは、CFOにしか果たせない役割の証です。
CEOと監査法人をつなぎ、現場と経営層をつなぎ、内部と外部をつなぎます。その中心に立つことができるのは、CFOだけです。
私は、2度のIPOを経験し、CFOとして3年間在任する中で、何度も板挟みに苦しみました。しかし、その経験を通じて、私は気づきました。
板挟みは、CFOの武器です。
板挟みの構造を理解し、実務の型を身につけ、心理的な強さを持つこと。それができれば、CFOは単なる「財務の専門家」ではなく、「事業の専門家」になれます。
あなたが今、板挟みの中で苦しんでいるなら、この記事が少しでも力になれば幸いです。