板挟みは、CFOの宿命ではなく本質である
「経営陣は攻めろと言い、現場は守れと言う。株主は成長を求め、従業員は安定を望む。そして私は、その真ん中で数字を見つめている」
多くのCFOは、この板挟みを「避けたい苦しみ」として捉えています。しかし、本当にそうでしょうか。
板挟みとは、CFOという役割が本来持つべき位置そのものです。なぜなら、組織内のあらゆる対立は、最終的に「資源配分」という形で顕在化するからです。そして、その資源配分の判断を引き受けるのが、CFOという存在です。
板挟みから逃げることは、CFOという役割から逃げることと同義です。むしろ、板挟みを引き受けることでしか見えない経営の構造があり、その構造を言語化できる者だけが、真の意味でのCFOになれるのです。
CFOが立つ「中間地点」の意味
CFOは、組織内のどこにも完全には属さない存在です。
経営陣の一員でありながら、経営陣の楽観を数字で冷やす役割を担います。現場の声を聞きながら、現場の要求をすべて受け入れるわけにはいきません。株主の期待に応えつつ、株主の短期志向に抗うこともあります。
この「どこにも完全には属さない」という宙吊りの位置が、CFOの本質です。
なぜなら、組織の判断は、常に複数の利害関係者の対立の中で下されるからです。そして、その対立を「どちらか一方の視点」から見ていては、組織全体にとって最適な判断はできません。
CFOが立つべき位置は、対立する複数の視点を同時に引き受けられる「中間地点」です。そこは孤独な場所ですが、そこにしか見えない景色があります。
板挟みが教えてくれる3つの構造
板挟みを引き受けると、組織の判断構造が3つの層に分かれていることが見えてきます。
第一層: 感情の対立──「誰が正しいか」という問い
経営陣は「なぜ現場は動かないのか」と苛立ち、現場は「なぜ経営陣は現実を見ないのか」と不満を抱えます。
この層では、対立は「誰が正しいか」という感情の問題として現れます。しかし、CFOはこの層に留まってはいけません。なぜなら、どちらも正しく、どちらも間違っているからです。
第二層: 不確実性の対立──「何を優先するか」という問い
感情の奥には、異なる種類の不確実性があります。
経営陣が見ているのは「市場の不確実性」です。競合の動き、顧客の変化、技術革新の波。これらは外部環境の変化であり、対応が遅れれば組織は取り残されます。
現場が感じているのは「リソースの不確実性」です。人員不足、予算制約、時間的余裕のなさ。これらは内部環境の限界であり、無視すれば組織は崩壊します。
板挟みとは、この「異なる不確実性の対立」を引き受けることです。そして、どちらの不確実性を優先するかという判断は、感情ではなく、組織の状態と戦略によって決まります。
第三層: 時間軸の対立──「いつ判断するか」という問い
不確実性の奥には、時間軸の対立があります。
株主は「今期の成長」を求めます。それは四半期や年次という短期の時間軸です。一方、従業員は「長期の安定」を望みます。それは数年、場合によっては10年という時間軸です。
CFOは、この短期と長期の対立を、中期という視点で統合しなければなりません。今期の利益を確保しながら、3年後の基盤を固め、10年後の成長機会を逃さない。この時間軸の統合こそが、CFOにしかできない判断です。
板挟みを引き受ける者が持つべき3つの視点
板挟みという構造を理解したら、次に必要なのは、その構造の中でどう振る舞うかという実践知です。
板挟みに対処するには、3つの異なる視点が必要です。それぞれの視点は独立していますが、連続した判断プロセスとして機能します。
視点1: 不確実性を観測する(Observe)──対立そのものを構造として見る
まず必要なのは、対立している要求を感情的に捉えるのではなく、構造として観測することです。
「経営陣は何を恐れているのか」「現場は何を守ろうとしているのか」「株主は何を期待しているのか」
これらを、それぞれ独立した「観測対象」として並べてみます。すると、板挟みは「誰が正しいか」という問いではなく、「どの不確実性が、どの時間軸で、どの程度の重みを持っているか」という構造の問題に変わります。
この観測なしに判断を下せば、それは単なる「声の大きい方に従う」という政治的判断になってしまいます。
板挟みで動けないと感じているなら、まず「何が対立しているのか」を可視化することから始めてください。
→ 詳しくは「CFOが「板挟み」で動けない本当の理由──観測されていない3つの不確実性」へ
視点2: 判断に規律を宿す(Define)──対立に境界線を引く
観測ができたら、次は「どの要求を、どの条件で優先するか」という境界線を引きます。
この境界線は、感覚や空気ではなく、数値・閾値・条件分岐として明文化されなければなりません。なぜなら、境界線が曖昧であれば、判断は毎回異なる結論に至り、組織は混乱するからです。
「もし手元流動性が月商3ヶ月分を下回るなら、新規投資は凍結する」 「もし離職率が10%を超えるなら、人的資本への投資を最優先する」 「もし営業CFが3四半期連続でプラスなら、段階的な攻めの施策を実行する」
この境界線を引くことは、冷酷ではありません。むしろ、すべての関係者に対して「なぜその判断になったのか」を説明できる、唯一の誠実な方法です。
規律が定まれば、板挟みは「どちらを選ぶか」という苦しい二者択一ではなく、「どの条件が満たされているか」という客観的な確認作業に変わります。
→ 詳しくは「CFOの「板挟み」に規律を──相反する要求に境界線を引く3つの判断ルール」へ
視点3: 知性を構造に託す(Delegate)──判断を再現可能にする
境界線が引けたら、最後は「この判断プロセスを、誰が実行しても同じ結論に至る構造」に落とし込みます。
CFO一人がすべての板挟みを引き受ける体制は、短期的には機能します。しかし、組織が成長すれば、CFOの判断力には限界が来ます。
必要なのは、CFOの判断を「再現可能なフレームワーク」に変換することです。部門責任者が、経営陣と現場の対立に直面したとき、CFOと同じ構造で判断できる。それが、知性を構造に託すということです。
判断が構造化されれば、板挟みはもはやCFO個人の苦しみではなく、組織全体で共有される「判断の共通言語」になります。
→ 詳しくは「CFOの「板挟み判断」を組織に委任する──誰が判断しても同じ結論に至る5つのステップ」へ
CFOとは、対立を統合する知性である
板挟みを苦しみとして捉えるか、本質として引き受けるか。この違いが、CFOという役割の深さを決定します。
板挟みから逃げれば、CFOは単なる「数字の番人」になります。経営陣の指示を数値に変換し、現場の要求を予算に反映し、株主に報告書を提出する。それは重要な仕事ですが、CFOの本質ではありません。
板挟みを引き受けたとき、CFOは「対立を統合する知性」になります。異なる不確実性を観測し、境界線を引き、判断を構造に託す。その構造が組織に浸透したとき、CFOは組織の判断そのものを形作る存在になります。
観測し、規律を定め、構造に託す。この3つの視点を持つことで、板挟みという位置は、孤独な苦しみから、組織の中心にある知性の拠点へと変わります。
板挟みは、宿命ではなく、選択です。そして、その選択をした者だけが、経営の本質に触れることができます。