「正しいはず」の提案が、なぜ経営陣の心に届かないのか
深夜のオフィスで、精緻に作り込まれた収支シミュレーションを眺めながら、あなたは溜息をついているかもしれません。競合他社の動向、市場の成長率、緻密な感度分析。計算機を叩き、ロジックを積み上げれば積み上げるほど、経営陣との距離が遠のいていく。「正しいはずなのに、なぜ誰も動いてくれないのか」。
この「伝わらない」という感覚の正体は、あなたの計算能力の低さではありません。経営が直面している「言葉にならない不確実性」を観測できていないことにあります。経営者が求めているのは、正確な計算機ではなく、霧の中を指し示す軍師の眼差しです。
数字で測れない「不確実性」が、判断を止めている
CFO候補生が陥りがちな罠は、数字ですべてを説明しようとすることです。しかし、経営判断の現場で起きているのは「数字で測れるリスク」と「数字で測れない不確実性」の混濁です。
あなたが提出したExcelの表は、あくまで過去の延長線上にある予測に過ぎません。一方、経営者が意思決定の土壇場で躊躇しているのは、データに現れない組織の疲弊や、市場の微かな風向きの変化、あるいは自分自身の直感との乖離です。
計算機としてのCFOは、数字を積み上げます。軍師としてのCFOは、数字の背後に隠された「名づけられていない不安」を観測します。提案が刺さらないのは、あなたが経営陣と同じ「不確実性」を観測できていないからです。
経営陣の視界を遮る「4つの霧」を言語化する
経営陣が抱えているモヤモヤは、以下の4つのパターンとして言語化できます。彼らの視界を遮っている霧の正体を、テーブルに載せてください。
戦略の空白地帯
データはあるが、次に打つべき一手との因果関係が見えていない。「売上は伸びている、でも次は何をすればいいのか」という状態です。数字は右肩上がりでも、経営陣の頭の中では「このまま進んで大丈夫なのか」という不安が渦巻いています。
組織の心理的限界
投資余力はあるが、実行を担う現場の「覚悟」が枯渇している。財務諸表上は問題なくても、現場のマネージャーが「もう無理です」と言い出しかねない空気を、経営者は肌で感じています。数字には出ない「疲弊の臨界点」が、判断を鈍らせています。
時間軸の歪み
短期の利益と長期の生存が、数値上ではなく「意志」として対立している。「今四半期の数字を守るべきか、3年後のために種を蒔くべきか」という問いは、Excelでは答えが出ません。経営者の中で、2つの時間軸が綱引きをしています。
観測データの純度不足
現場から上がってくる数字そのものが、忖度や願望で歪んでいる。「本当にこの数字を信じていいのか」という疑念が、経営者の判断を躊躇させています。報告書の背後に、現場の「言えない真実」が隠れていることを、彼らは直感的に察知しています。
これらを「問題」として突きつけるのではなく、「現在の不確実性の正体はこれである」と定義するだけで、経営陣の視界は一気にクリアになります。
「共感」ではなく「観測の解像度」で信頼を勝ち取る
CFOに求められるのは、経営者の想いに寄り添う「共感」だけではありません。それ以上に必要なのは、経営者が漠然と感じているリスクを、誰よりも鋭い解像度で「観測」してみせることです。
「なんとなく不安だ」という経営者の直感を、「現在の不確実性は、リソースの綱渡り状態によるものですね」と構造的にフィードバックする。この「自分の内側にある正体不明のモヤモヤを、この人は言語化してくれた」という体験こそが、計算機を軍師へと変える信頼のトリガーとなります。
客観的な観測者としての立ち位置を崩さず、しかし経営者の隣で同じ霧を見つめる姿勢が、言葉に説得力を宿します。
あなたの役割は、経営者の不安を否定することでも、励ますことでもありません。彼らが感じている不確実性を、精密に観測し、言語化することです。経営者は、自分の直感が「正しかった」と確認できたとき、初めてあなたの提案に耳を傾けます。
正解を示すことをやめ、「現在地」を指し示す
「どうすればいいですか?」という問いに対し、唯一無二の正解を提示しようとする必要はありません。不確実性の真っ只中において、絶対の正解など存在しないからです。
軍師がすべきことは、選択肢を提示する前に、「今、私たちはどんな嵐の中にいて、船のどの部分に浸水が始まっているのか」という現在地を正確に伝えることです。
判断の責任は経営者にあります。しかし、判断のための「レンズ」を提供するのはCFOの役割です。観測データというレンズを磨き、経営陣が自らの意志で舵を切れる状態を作ること。それが、あなたの提案が「刺さる」ための最低条件となります。
経営者が求めているのは、答えではなく、問いを整理する視点です。「売上を伸ばすべきか、コストを削るべきか」ではなく、「今、我々が直面している不確実性は何か」を明確にすることで、判断の土台が整います。
ここから先へ進むために
不確実性の正体を正しく観測し、経営陣と視界を共有できたなら、次のステップは「では、どこまでならリスクを取るのか」という境界線を引く作業です。観測しただけでは、嵐は止みません。その嵐の中で、船を沈ませないための明確なルール、すなわち「規律」が必要になります。
観測された不確実性に形を与え、組織の判断に揺るぎない軸を据えるために。次は、判断の閾値(いきち)を定義するプロセスへと進みましょう。